今回は、以下のような設例について検討します。
私(X)は、Yさんに対して居住用マンションの一室(「本件貸室」といいます。)を賃貸していました。
本件貸室にはYさんのほか、Yさんの妻であるAさんも居住していました。
ところが、Aさんは本件貸室内で自殺してしまい、Yさんも本件貸室から退去することになりました。
Aさんの自殺の状況からすれば、今後、従前の賃料のままでは本件貸室を賃貸することができません。私は、Yさんに対し、賃料収入の減少分について損害賠償請求したいのですが可能でしょうか。
■ Yさんの責任について
まず、本件賃貸借契約の当事者はXさんとYさんであり、Aさんは契約の当事者ではありませんが、AさんはYさんの占有補助者(利用補助者)に該当するといえます。
賃借人は、賃貸借契約上、引渡しを受けてからこれを返還するまでの間、その目的物を善良な管理者の注意をもって管理すべき義務を負っているといえます(民法400条【※1】)。その義務の中には、目的物について物理的に損傷等することのないようにすることのほか、通常人が心理的に嫌悪すべき事由を発生させないようにすることも含まれているといえます。
例えば、居住者がその賃借物件において自殺することのないよう配慮する義務も含まれているということができます(東京地判平成13年11月29日、東京地判平成22年9月2日、東京地判平成23年1月27日、東京地判平成28年8月8日、東京地判令和4年10月14日、東京地判令和5年3月23日参照)
そうすると、設例の賃借人Yさんは、賃貸人Xさんに対し、Aさんの自殺に起因する本件貸室の損害について契約上の責任(債務不履行責任)を負うべきことになるといえます。
【※1】民法400条
(特定物の引渡しの場合の注意義務)
第400条 債権の目的が特定物の引渡しであるときは、債務者は、その引渡しをするまで、契約その他の債権の発生原因及び取引上の社会通念に照らして定まる善良な管理者の注意をもって、その物を保存しなければならない。
■ 損害賠償の範囲(額)について
賃借人Yさんは、賃貸人Xさんに対し契約上の責任を負いますので、Xさんは、Yさんに対し、債務不履行に基づく損害賠償を請求できることになります。
問題は、その損害賠償の範囲(額)についてですが、この点に関しては具体的な事実関係によって異なってきます。
参考としていくつか裁判例を紹介しておきます。
【※2】東京地判平成22年9月2日(ウエストロー2010WLJPCA09028001)の要旨
本件における原告の逸失利益については、本件物件の相当賃料額を本件賃貸借と同額の12万6000円と見た上で、賃貸不能期間を1年とし、また、本件物件において通常であれば設定されるであろう賃貸借期間の1単位である2年を低額な賃料(本件賃貸借の賃料の半額)でなければ賃貸し得ない期間と捉えるのが相当と考える。
また、将来得べかりし賃料収入の喪失ないし減少を逸失利益と捉える以上、中間利息の控除も必要というべきである。
以上によれば、逸失利益については、277万8752円となる。
1年目:¥126,000×12か月×0.9524(ライプニッツ係数)=¥1,440,028
2年目:¥63,000×12か月×0.9070=¥685,692
3年目:¥63,000×12か月×0.8638=¥653,032
合計¥2,778,752
【※3】東京地判平成23年1月27日(ウエストロー2011WLJPCA01278012)の要旨
平成21年7月1日から新契約が締結される同年10月19日までの3ヶ月と19日分の賃料等相当額分28万9032円(8万円×3ヶ月+8万円×19/31日≒28万9032円(小数点以下切捨て))は損害ということができる。
また、新契約分については、少なくとも、新契約の賃貸契約当初の2年分(平成21年10月20日から平成23年10月20日までの24ヶ月)に加え、その翌日である平成23年10月21日から学生が通常において賃貸物件を探すピークである翌年3月20日までの約5ヶ月の間の新契約の賃料等の額(月額4万6000円)と、本件契約の賃料等の額(月額8万円)との差額(月額3万4000円)については、逸失利益として認定するのが相当であり、その合計額は、98万6000円となる(3万4000円×29ヶ月)。
以上によれば、原告の逸失利益は、少なくとも上記の合計127万5032円となる。
【※4】東京地判令和4年10月14日(判例秘書L07733021)の要旨
(1)空室期間についての損害
原告は、本件賃貸借契約が令和2年9月28日に終了した後、原状回復工事を経て、令和2年10月末頃から本件建物の入居者募集を開始し、その約3か月後である令和3年1月下旬に入居希望者が現れたがペット飼育の可否につき折り合いがつかず、その後2月中旬に別の入居希望者が現れ、同人に対し同年4月1日から賃料月額15万円と定めて賃貸していることが認められる。
本件自殺の有無にかかわらず原状回復工事期間中に新賃借人が入居することは考えられないことからすれば、上記1か月の空室期間は本件自殺との間に相当因果関係があるとはいえない(なお、本件自殺の態様に照らし、通常よりも長期間の原状回復工事を要したとは考えられない。)。
また、一般に、入居希望者が現れてから実際に賃貸借契約を締結して入居するまでは一定期間を要するものであり、特に、新年度の4月から入居することを希望する者は、前年度の2月頃に物件探しをして物件を決め、4月1日からを契約期間として契約することが多いこと(公知の事実)からすれば、令和3年2月中旬頃に新賃借人が現れてから同年4月1日から入居するまでの間の約1か月半の空室期間についても、本件自殺との間に相当因果関係があるとはいえない。
そして、本件建物が利便性の高い地域に存在するマンションであり空室率は低いものであったことを考慮しても、通常、一定程度の賃借人募集期間は必要であるから、本件自殺と相当因果関係のある空室期間は3か月とするのが相当であり、次のとおり70万5000円が損害額である。
23万5000円×3=70万5000円
(2)その後の賃料減額についての損害
原告は、本件自殺により本件建物の賃料相場が下落し、減額した賃料額で賃貸せざるを得ない事態に陥り損害を受けたものである。そこで、上記損害のうち本件自殺と相当因果関係のある範囲について検討するに、本件建物の従前賃料は月額23万5000円であり、これは相場に照らして相当なものであったこと、本件建物は利便性の高い地域に存在するマンションであり空室率は低いものであったこと、亡Aが死亡したのは本件建物内ではなく、賃借人の心理的抵抗感は本件建物内で死亡した場合に比べれば低いと考えられること、本件建物は東京都心部のタワーマンションの一室であり近隣との人間関係は希薄であると考えられること(弁論の全趣旨)、原告から依頼を受けた仲介業者は従前賃料から30%を減額した月額賃料16万4500円で募集をしていたことなどの事情を総合考慮し、新たな賃貸借契約が締結された令和3年4月分から、本件自殺の3年後である令和5年8月分までの29か月分の賃料について、従前賃料額の3割の範囲に限り相当因果関係を認める。
23万5000円×30%×29か月=204万4500円
【※5】東京地判平成29年4月14日(ウエストロー2017WLJPCA04146014)の要旨
本件事故のあった本件居室を賃貸する場合、原告は、賃借希望者に対し、本件事故につき事前に説明すべき義務があるといえるところ、一般に、本件事故の説明を受けた賃借希望者が、同居室を賃借して居住することに少なからず心理的な嫌悪感を抱くことは避けられない。そうであれば、原告が、本件事故につき説明した上で、本件居室を賃貸する場合、一定期間、賃借人となる者が現れない可能性は高く、仮に同居室を賃借する者があるとしても、通常の賃料での賃貸は困難といわざるを得ない。
もっとも、上記嫌悪感は心理的な要因により生じるものであり、物理的瑕疵と異なって時間の経過により希釈化するものと考えられるし、また、本件事故後、新たな賃借人が本件居室を一定期間利用した場合などにも、同嫌悪感は薄れるものと考えられる。さらに、本件居室が西武池袋線b駅及び西武有楽町線c駅からいずれも徒歩5分という立地条件のよい場所に位置し、マンションの管理体制も良好であり、その需要は高いこと、本件事故に関する報道等がされたことを認めるに足りる証拠はないことなどに照らすと、本件事故に起因する嫌悪感が長期間にわたって継続すると解するのは相当でない。
上記事情に加え、本件賃貸借契約の賃貸借期間が2年であること、賃料が月額5万3000円であることを併せ考えると、本件居室は本件事故から1年間は賃貸が困難であり、その後賃貸する場合でも2年間は通常の賃料の半額でしか賃貸できないものと考えるのが相当である。
他方で3年を経過した後は、通常の賃料による賃貸が可能と考えられるから、本件事故に起因する賃料の逸失利益は、以下の計算のとおり合計116万8840円となる。
1年目 60万5726円(5万3000円×12か月×0.9524ライプニッツ係数)
2年目 28万8426円(2万6500円×12か月×0.9070ライプニッツ係数)
3年目 27万4688円(2万6500円×12か月×0.8638ライプニッツ係数)
【※6】京都地判平成29年12月13日(ウエストロー2017WLJPCA12136018)の要旨
賃料収入に係る逸失利益について検討するに、本件事件当時、Aが本件居室を賃貸期間2年間、賃料月額3万6000円、共益費3000円で賃借していたこと、本件建物の他の居室の中には賃貸期間1年の定期建物賃貸借契約を締結している例もあったこと、本件建物は入居者の流動性が高い賃貸物件であり、本件事件があったことによる心理的嫌悪感も早期に軽減されることに加え、本件居室内では床の張替工事も行われ、これも心理的嫌悪感の早期の軽減に資するものと考えられること、原告らが本件土地建物を売却する際、仲介業者は本件居室の入居者募集条件として賃料月2万円、共益費3000円を想定した本件建物の収支参考資料を作成して買主に提示していたこと、他方で、本件建物の現在の所有者は平成29年5月時点で本件居室の入居者募集は控えていること、その他本件に現れた一切の事情を考慮すると、本件居室は、本件事件後半年から1年程度の間は賃貸自体が困難となり、少なくとも、本件事件から1年間は従前賃料等3万9000円を基準として8割程度の減収を生じ、さらにその後、少なくとも一契約期間の間は賃料を減額した賃貸しかできず、本件事件の1年後から2年間は従前賃料等3万9000円を基準として5割程度の減収を生じるものと認めるのが相当である。
そうすると、原告X1の逸失利益(中間利息をライプニッツ方式で年5%控除する。)は、1年目が35万6541円(3万9000円×0.8×12か月×0.9523)、2年目が21万2238円(3万9000円×0.5×12か月×0.9070)、3年目が20万2129円(3万9000円×0.5×12か月×0.8638)で、合計77万0908円となる。
■ おわりに
賃貸人(Xさん)側としては、国土交通省が公表している「宅地建物取引業者による人の死の告知に関するガイドライン」【※7】の存在も意識しておかなければなりません。
【※7】宅地建物取引業者による人の死の告知に関するガイドライン(令和3年10月)
対象不動産における自然死(老衰や持病による病死など)や日常生活の中での不慮の死(入浴中の溺死や食事中の誤嚥など)の場合は、原則としてそのことを借主に告げる必要はありません(ただし例外あり)が、それ以外の人の死の場合には、原則として概ね3年間(ただし例外あり)はそのことを借主告げるべきといわれています。
設例のような事案においても、原則として概ね3年間はそのことを借主に告げるべきことになるでしょう。
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